もったいない

モノは、いつ価値を失うのでしょうか。古くなったときでしょうか。新しいものが登場したときでしょうか。それとも、本当に意味のある形で使えなくなったときなのでしょうか。 日本語の「もったいない」という言葉は、まさにこの問いに目を向けさせます。それは、まだ活かすことのできた価値が失われてしまうことへの惜しさや残念さを表す言葉です。

JAPAN IN FOCUSSUSTAINABILITY

8/12/20261 分読む

モノの価値は、価格だけでは決まらない

日本の「ぼろ(Boro)」と呼ばれる布製品の中には、何度も繕われながら、世代を超えて受け継がれてきたものがあります。現在では、その独特の美しさやデザイン性も評価されています。

しかし、19世紀から20世紀初頭の農村部の貧しい家庭にとって、布を繰り返し繕うことは生活上の必要でもありました。布は、使える限り使い続けられていたのです。

そこには、「もったいない」という考え方が現在でも興味深い理由の一つがあります。

「もったいない」は英語でしばしば “What a waste” と訳されます。しかし、言語学的な研究では、英語の waste との重要な違いが指摘されています。「もったいない」には、本来ならもっと良い使い方ができたはずだという可能性が、より強く含まれているのです。[2]

何かがただ存在し、そしてなくなったというだけではありません。その価値は、まだ活かすことができたかもしれないのです。

食品であれば、食べることができたかもしれません。モノであれば、別の誰かが使えたかもしれません。製品であれば、もっと長く使えた可能性があります。

私たちが興味を失ったからといって、そのモノの価値まで自動的になくなるわけではありません。

文化的な理想と廃棄物処理の現実は同じではない

この考え方から、魅力的な物語を描くことは簡単です。

日本にはモノを大切にする特別な文化があり、そのため非常に持続可能な社会である――。

しかし現実は、それほど単純ではありません。

日本の一人当たりの一般廃棄物の発生量はOECD平均よりかなり少なく、およそ3分の2です。一方で、一般廃棄物の約80%が焼却されています。また、日本の一般廃棄物のリサイクル率は、経済的に比較可能な国々より低い水準にあります。一人当たりのプラスチック廃棄物の発生量もOECD平均を上回っています。

そのため、「もったいない」という文化が存在することだけで、日本という国の持続可能性を証明することはできません。

文化的な理想は、必ずしも社会が実際にどのように機能しているかを示すものではありません。

しかし、それはその社会が何を「失われた価値」として認識しているのかを示すことがあります。

感情だけで行動が変わるとは限らない

「もったいない」という感覚は、人々にモノや資源をより大切に扱わせるのでしょうか。

その可能性を示す研究はあります。

しかし、研究結果は単純ではありません。

社会心理学者の黒川雅幸氏は、複数の研究において、「もったいない」という意識が強い人ほど、さらなる価値の損失を避けるような行動と関連する傾向を示したことを報告しています。

一方で、実験によって短時間だけ「もったいない」という感情を引き起こしても、期待された行動が必ずしも生じるわけではありませんでした。

つまり、この研究は文化的な価値観の重要性を否定するものではありません。同時に、「大切にしよう」と呼びかけるだけで十分だということも示していません。

何かを大切にしたいと思うことと、実際にその価値を維持できることは、別の問題だからです。

価値を維持するには、選択肢が必要

製品が長く使われるかどうかは、個人の意識だけで決まるものではありません。

修理費用、交換部品の入手可能性、製品設計、そして利用しやすい修理サービスなども、その製品の使用価値を維持できるかどうかを左右します。

そのため、日本の現在の「循環型社会形成推進基本計画」では、製品の長期使用、修理、メンテナンス、再使用などが重視されています。

目標は、廃棄された後に資源を回収することだけではありません。製品や資源が持つ価値を、できるだけ長く維持することです。

欧州連合(EU)でも、同じ問題への取り組みが進められています。2026年7月31日から、欧州の新しい「修理する権利」に関する規則が適用されています。

これは、特定の製品をより修理しやすくし、修理サービスや情報、交換部品へのアクセスなどを改善することを目的としています。

これは「もったいない」のヨーロッパ版ではありません。

しかし、両者は同じ問いにつながっています。

すでに存在する価値を使い続けるためには、何が必要なのでしょうか。

循環型経済は、リサイクルから始まるわけではありません。

そのはるか前、製品の寿命、修理のしやすさ、そして他の人に譲ったり再利用したりできる可能性から始まっています。

すべてのモノを残す必要はない

モノを大切にすることにも限界があります。

捨てたくないと思うことが、常に合理的とは限りません。モノを大切にするということは、何でも永遠に保管し続けなければならないという意味ではありません。

重要なのは、「価値を保つこと」と「ただ手放せないこと」の違いです。

モノは、存在しているという理由だけで永遠に残されるべきものではありません。

より重要なのは、そのモノがまだ持っている価値を、意味のある形で活かすことができるかどうかです。

「もったいない」は、すべてを解決する完成された答えではありません。

しかし、この言葉は私たちのモノの見方を変えてくれます。

私たちがもう必要としなくなったからといって、そのモノが自動的に無価値になるわけではありません。

そして、無駄はモノがゴミ箱に入った瞬間に始まるわけでもありません。

まだ活かすことのできる価値が、不必要に失われるところから始まるのです。

出典: [1] Victoria and Albert Museum: “Make your own: Japanese 'Boro' bag”; [2] Hiromichi Sakaba (2022): “Mottainai as a Japanese Cultural Keyword: A Key Semantic Difference to the English Word Waste”, Osaka University; [3] OECD (2025): “OECD Environmental Performance Reviews: Japan 2025 – Assessment and recommendations”; [4] Ministry of the Environment, Government of Japan (2025): “MOE Japan Discloses the Estimated Amount of Japan's Food Loss and Waste Generated in FY2023”; [5] Masayuki Kurokawa (2014): “Psychological functions of mottainai affect”, Japanese Journal of Experimental Social Psychology; [6] Ministry of the Environment, Government of Japan (2024): “The Fifth Fundamental Plan for Establishing a Sound Material-Cycle Society”; [7] European Commission (2026): “Right to repair: New consumer rights for easy and attractive repairs”.

会社情報

Léoré Groupは、メディア活動、スタジオサービス、社会的な取り組みを結びつけています。

お問い合わせ

© 2026 Léoré. すべての権利を留保します。

出版物

Léoré Mediaは、社会的意義のある人物、企業、プロジェクトに関するインタビュー、分析、記事を発信しています。
→ Léoré Mediaへ

私たちはドイツ奨学金制度「Deutschlandstipendium」を支援しています